OLエッチ体験談その4


 無言のまま駅の改札を抜けていったサラリーマンの群れは、交差点ごとに枝分かれしてそれぞれの行き先に向かって当然のように流れ、昨日までクリスマス一色だった
 街並みは、祭りの後のような虚脱感を漂わせている。
 私は駅から6つ目の交差点で空を見上げながらため息をついた。目の前にはアサクラの本社ビルが私を拒むかのように高々とそびえている。
…こんな事なら佐久間クンといっしょに来るんだった…

 佐久間クンと結ばれたあの夜、翌日も有休の彼は私の部屋で一夜を過ごした。そして、佐久間クンが出勤する明後日から私も会社に戻ると約束した。
 『行きずらいのならいっしょに出勤するよ…』そう言ってくれた彼の申し出を、自分で撒いた種だからタイムレコーダーにIDカードを通すまでは人手は借りないと断ったのは私だった。
 テンションが高かったあの時の意欲はどこかに吹っ飛び、朝日に輝くアサクラ本社ビルも今の私の目にはガラスの魔宮のようにすら見える。私は引き返したい気持ちを抑えるのが精いっぱいだった。
「おはようございます。帰ってきたんですね」
 不意に背後から聞き覚えのある声が聞こえた。振り返るまでもなく、声の主は添嶋直子だ。彼女は私の横に並ぶと嬉しそうに微笑んでみせた。私の失禁の一件に責任を感じていた彼女は、私が出勤した事が本当に嬉しいようだった。
「おはよう。今…引き返そうかと思っていたんだけど、直子に見られちゃったら行くしかないわね」
 私はちょっと首をすくめて言った。
「そうですよ。ここで会ったが百年目ですからね」
 私は直子に続いて社員通用口からロッカールームに向かった。胸がドキドキして、まるで新入社員のようだ。一週間ぶりに袖を通す制服も何かよそよそしい。
 時間が早い事もあって、会計課にはまだ数人の男子社員しかいなかった。その中には佐久間クンの顔もある。
「あの…おはようございます…」
「あ、おはよう」
 私が遠慮がちに挨拶すると、彼らはいつもと変わらない態度で挨拶を返してくれた。
佐久間クンも一昨日の事など忘れてしまったかのようにいつものままだ。私に対して気を使ってくれているのがその態度からも読みとれる。
 私の後から出社してきた人たちも、あの谷山女史さえも私に対して怪訝な視線を向ける事はなかった。まるで何もなかったかのような不自然に自然な態度…私にとってそれは、嬉しくもあり重荷でもあった。
 私は矢口課長が出社するのを待って無断欠勤を詫びた。課長は私の欠勤は有休扱いになっている事だけを告げ、後で話があるから始業時間になったら商談コーナーに来るようにと言った。
…やっぱり何かしらの処分があるんだわ…
 私は不安に包まれたまま始業のチャイムを聞いた。
「片桐君、まずは復帰してくれて嬉しいよ」
 課長はフロアの片隅にある商談コーナーに座るなり、そう切り出した。手には何かの資料が入っているらしいファイルを持っている。私は借りてきた猫のように神妙に座って次の一言を待った。
「如月自動車工業…って知ってるね。ウチが小排気量エンジンを供給している所だ」
「…はい。…知ってます」
 何かの処分の話と思っていた私には何の事だかさっぱりわからなかった。
「どうかね…あの会社に出向してみる気は…ないかね」
「…は??…出向ですか?」
 私は突然の事に一瞬思考が止まった。そして気を取り直して考えた。
 …何の事はない私は用済みって事ね…リストラの対象になったって事ね…
「最初に言っておくが、あくまでこれは君の自由意志だから出向しないからといってペナルティはないんだ。残ると言うなら今まで通り財務係でやってもらう」
  課長はリストラの一環としての出向ではない事を強調した。
「秋川市に如月自動車の研究所があるんだが…茨城県波崎町の生産工場の近くに移転する事になったんだ。…建物の方は7割方出来上がっていて、来年の4月から本格的に移転するらしいんだが…」
 手に持ったファイルをめくりながら確認するように課長が言った。私はそれを覗き込むようにしながら上の空で返事をする。
「部署ごとに順次移転するから研究セクションそのものはいいんだが、それらを統括する部門…まあ…総務ってやつだな。それは順次移転というわけには行かなくて、移転開始から完了まで秋川と波崎に置かなければならないわけだ。で、当然人手が足りなくなる。…かと言って新規採用すれば後々になって人が余る。…で、各事業所や営業所、さらにはアサクラにまで応援を要請してきたわけだ」
 課長はファイルから目を上げると、ゆっくり言葉を切りながら話した。
「そうなんですか…」
「ああ…5年計画だから予定では移転完了は2000年…つまり平成12年だな。今年度末で2年目終了だし、出向期間は実質最長で2年半から3年って所かな。異動は正式には4月1日付けになると思うが…」。
「3年…ですか…」
 私はしばらく考え込んだ。
「返事はすぐでなくてもいいんだ。そうだな・・・年末年始の休暇の間に考えてもらって・・・来年の年明け早々にでも返事をしてくれればいいかな」
 正直言って、私はこの降って湧いた出向話に少しだけ乗り気だった。職場の仲間達は私の失禁事件を無かった事にしてくれているが、あくまでも無かった事になっているだけで記憶から消えているわけではない。私にとって居心地のいい場所とは言いがたかった。
「あの…もし私が行くとしたら行き先は波崎なんですか? 秋川なんですか?」
「今の所…秋川と波崎のどちらでもいいとの事なんだがね。ただ…勤務地の希望があるなら早めに出しておいた方がいいとは思うが」
 課長がファイルに目を落として言った。
「そうですか…」
 私としては、たとえ半年でもいいから私の事を知らない人達のいる所で過ごしたかった。如月自工の研究所に出向すれば、少なくとも私の失禁を知る人はいない。
 現実的には秋川研究所の方がアパートから通えるし、佐久間クンとも離れずに済むから都合がいいが、私としては出来る事なら波崎に行ってみたかった。
 それは、アサクラ本社から少しでも遠くに離れたかったという事もあるが、それ以上に、打算的な理由で勤務地を決める事に何がしかの抵抗があったからだ。それに、同じ仕事をするなら年々人が少なくなって行く秋川より、人が増えて活気づいて行く波崎の方が良いように思えた。
「私…その話お受けしようと思います。それから、行き先は波崎でお願いします」
 私は課長が呆気にとられるくらいにあっさりと決断した。どうせ冬休み中考えたところで出てくる答えは同じなんだから、それならその分準備にあてた方がいい。
 そして、私の波崎への出向が本決まりになったのは、翌年、平成10年の1月半ばになってからだった。配属は4月1日付けだが、仕事の摺り合わせやら事務手続きやらで、実際には3月の初旬には波崎に発つ事になりそうだ。
 波崎での住まいは如月自工の社員寮で、資料の写真を見る限りでは寮というよりはマンションといった感じがする。間取りはバストイレ付きのワンルームで、もちろん冷暖房も完備されている。ベッドは壁面収納になっているからワンルームとはいっても狭くはなさそうだ。
 出向が決まってからの私には仕事らしい仕事もなく、週に1〜2日如月自工に研修に行く以外はコピー取りや書類の配布といった雑用をこなしていた。窓際族同然の私にとって、出社する楽しみといえば気のあった仲間とのランチタイムぐらいだった。
 佐久間クンとは会社では仕事上の事しか話さないが、週末には逢っている。私の出向を寂しがってはいたが、反対はしなかった。
「荷造り始めたんだね」
 佐久間クンが部屋の中を見回して言った。差し当たって必要な物以外はすでに梱包してある。
「うん…直前になると忙しいからね。今のうちから少しづつやってるの」
「波崎に行っている間、この部屋はどうするの? 引き払うの?」
「4月からは妹が住むかもしれないわ」
 先週、実家に帰って両親に出向の事を話した時、常々大学に合格したら一人暮らしをしたいと言っていた妹がここに住みたいと言い出した。
 当初、妹の一人暮らしに良い顔をしていなかった親も、私が出向から戻ったら姉妹の共同生活になるからという事で渋々承諾した。
「お姉さんがこの部屋でおもらししたなんて夢にも思わないだろうな
 佐久間クンが悪戯っぽい目で笑いながら言った。
「ちょっと…妹にそういう事は言わないでよ」
「そんな事言えるわけないだろ。第一、妹さんの顔だって知らないんだし」
「知ってたって言っちゃだめよ! 妹は私と違って普通なんだから」
 私は言ってから”しまった”と思った。
「じゃ、片桐さんは普通じゃないんだ」
「普通じゃなくしたのは何処のどなたでしたっけね」
 私は苦し紛れに佐久間クンに言い返した。でも、正直言うと私は自分の事を普通じゃないと…普通の23歳の女の子じゃないと…そう認め始めていた。
 実はあれから数回、私はおもらしを経験している。しかしその中で彼の知っているおもらしはただの一度だけだ。つまり…その他のおもらしはすべて彼の知らない所で私の意志でしたおもらしという事になる。
 あれは佐久間クンと伊豆に行った時だった。彼にトイレを禁止された私は、石廊崎の灯台へ続く崖の道を歩いている途中で我慢できなくなり、呆然と蒼い海を見つめながら幼女のように立ちつくしたままでオシッコを洩らしてしまった。
 あの時、佐久間クンは本気でトイレの使用を禁止したわけではなかった。オシッコを我慢させるだけのほんの悪ふざけのつもりだった。その証拠に、私がおもらしした時に一番慌てたのが誰あろう佐久間クン自身だった。
 私自身も彼が本気ではない事は感じていた。なのに、何故か私はトイレに行く事をためらい、結局惨めな結末を迎えてしまった。そして信じられない事に私はこの時、おもらしに快感めいたものさえ感じていた。
 我慢していたオシッコをショーツの中に洩らす時の切なさと開放感、ショーツから溢れたオシッコがうねうねとパンストを伝ってを行く時の恥ずかしさと罪悪感…泣きたいくらい悲しいのに、何故か子宮の奥が疼くような不思議な感覚…。
 佐久間クンが喜ぶなら…彼の頼みだから…そう思って仕方なくしていたはずだったおもらし…それを私自身の意志でしてしまったのはその翌日からだった。
 最初は、何故おもらしに快感めいたものを感じるのかを確かめたくて、バスルームで服を着たままでおもらしをしてみただけだった。でも誰にも知られない私だけのおもらしは、いたずらに秘密めいた快感を高めるだけの結果に終わった。
 もっと屈辱的なおもらしだったら…そう思ってスカートもぐしょぐしょに汚してしまった事もあった。それでも尚… 否、それだからこそ…おもらしに快感を感じている自分がそこにいた。
 恥ずかしくて…切なくて…屈辱的で・・・でもそれだけでは説明できない…普通の感覚では割り切れない…それ以外の不思議な感情…。
 …それって…マゾ? …私って…マゾだったの?
 職場の更衣室で興味半分に回し読みしたレディースコミックの過激な性描写…アブノーマルなセックス…。刺激を求めている読者のニーズに合わせた作り話と思っていた世界が、突如私の中で現実味を帯びて広がっていった。
 私は、知らず知らずアブノーマルな世界に足を踏み入れてしまったような…二度と戻れない所まで来てしまったような気がしてちょっと怖くなった。
「ねえ、佐久間クンは自分のアブナイ趣味を怖いと感じた事はないの? このまま行ったらどうなるんだろう…なんて思った事ないの?」
 私は思いきって佐久間クンに聞いてみた。やっている事の違いはあっても、彼もアブノーマルという点では同じだと思ったからだ。
「うーん…不安に感じた事はあったよ。何度もやめようと思って…思い切って服や下着の類を処分した事もあったんだけど…やっぱり…」
「それなりに悩んだのね…。でも…たとえば…私が佐久間クンの女装を毛嫌いしたとしたらどうするの? やめる? それとも隠れてでも続ける?」
「…そうだね…やめると思う」
「自信ある?」
「わからない…。でも片桐さんがいればやめられるかもしれない」
「私が?」
「…うん。…片桐さんが言ったんだよ。私は手を伸ばせば届く所にいるよって…。それから…こうも言ったよ。自分で自分は抱けないでしょ?って…。 僕が女装やおもらしに走った理由は以前話したよね。…つまり、片桐さんがいれば女装をする必要はないんだから」
「ふーん。…でも、その前にこうも言ったはずよ。私は佐久間クンの思い通りにはならないかもしれないけどって」
「それは承知しているつもりだよ。片桐さんをお人形さん扱いするつもりはないさ。ただ、時々でもいいから…思い通りになってほしいかな…って」
「私が佐久間クンの思い通りになる事が女装趣味の抑止力になってるわけなんだ」
「うーん…言い方は悪いかもしれないけど…そうなるのかな…」
「私の抑止力になるのって…誰かしらね?…」
「…え?…」
「ううん…何でもないわ…」
 それからしばらく沈黙が続いた。佐久間クンは遠くを見つめるような目で壁の一点を見ている。私はしばらくためらった後、意を決して彼に聞いた。
「ねえ、私って…普通じゃないと思う?」
「普通じゃないって…? ああ、さっきの一言? ごめん、別に深いわけはないんだよ。言葉のはずみってやつなんだ。気に障ったら謝るよ」
「そういう事じゃないのよ。あのさ…この間…伊豆に行った時…佐久間クンにトイレ行っちゃだめって言われて…もらしちゃったでしょ? 行こうと思えばトイレ行く事もできたのに…。つまりあれって…半分は私自身の意志でおもらししたのと同じ事になるのよね。…普の女の子ならそんな事しないよね…」
「…確かに普通じゃないって言えば普通じゃないって事になるんだろうけど…僕としては理想的な女の子だしなぁ…そういうのって」
  佐久間クンからは半ば予想通りの答えが返ってきた。無理もない。私が自分を普通じゃないと思っている根拠と、彼が思っている根拠とには大きな隔たりがある。すでに彼が思うほどに私はノーマルではなかった。女性の失禁に興味を示すという佐久間クンの性的嗜好を割り引いて考えたとしても、私のアブノーマルさを彼に告白するには勇気がいる。
 …どう言って切り出そうかしら…
 短い沈黙を破って電話のベルが鳴った。受話器の向こうはまだ無邪気さが残る妹の声だ。そういえば今日は彼女の入学試験日だった。話の様子では手応え十分らしい。
 私はひとしきり話した後に電話を切った。
 妹の声を聞いた後ではアブノーマルな話題を続ける気にはなれない。結局、佐久間クンとの話は腰を折られた形になってお流れになってしまい、その後もプライベートで会う機会が訪れないままに私が波崎に向かう日がやってきた。
 その日の朝、私はコンビニのサンドイッチで朝食を済ませると、がらんとした部屋のドアに鍵をかけた。
 …ちょっとの間寂しくなるけど我慢してね。入れ替りに妹が来るからよろしくね…
 私は冷たいドアにそっと手を当ててつぶやいた。

 茨城県波崎町は県の南東部にあり、太平洋と利根川に挟まれた南北に長い町だ。川の中央が県境なので、対岸は千葉県という事になる。ここから見ると風に揺れる防風林越しに、赤く塗られた銚子大橋を遠く望む事ができる。穏やかだった昨日とは打って変わって、今日は強い南東風が吹いている。春の嵐だ。
 私は如月自工の女子社員寮3階のベランダの手摺に頬杖をつき、目の前の川の流れを眺めていた。この寮は昔からの家々が立ち並ぶ一角から離れた川べりに建っているので私の部屋からは利根川を間近に見る事ができる。昨日はゆるやかに流れていた関東随一の川も、今は外洋のような白い波頭を見せて荒れている。
 見慣れない景色と引っ越し便で届いた荷物の山…。私は新しい生活が始まった事をひしひしと実感した。
…とうとう来たわね…
 昨日…3月26日の朝、バイクのタンデムシートに身の回りの荷物をくくり付け、私はここに向かってアパートを出た。中央自動車道から首都高速、京葉道路まで来たあたりで、上天気に誘われた私はストレートに波崎に行く予定を変更して館山自動車に入り、初春の南房総を回って九十九里浜沿いに波崎に向かうルートを取った。まだ寒かったけど、道を埋め尽くす菜の花と蒼くのどかな海を眺めながら食べるコンビニのサンドイッチは格別で、久々のツーリング気分に身も心もリフレッシュした感じがした。
…さて…と、いつまでもこうしてるわけにはいかないわね…
 私は非常階段を確認しておこうと思い、ひっそりとした廊下に出た。この女子寮は、廊下を挟んで西側と東側に部屋を配置していて、各部屋には一間ほどのベランダが備え付けてある。狭いながらもキッチン、バスルームはあるし、洗面所には洗濯機もある。完全に各部屋独立制の寮だ。
 非常口のロックは手動で開けられた。見るからに頑丈そうな扉を押し開けると、隙間から南風が音を立てて吹き込んできた。束ねていない髪が舞い上がり私は目を細めた。でも真冬の木枯らしのような冷たい風ではない。激しさの中にもほのかな暖かさと微かな潮の香を含んだ、まぎれもなく春の風だ。
 乱暴な春の歓迎を受けながら非常階段の踊り場に立つと、そこからは寮の駐車場が見渡せた。昨日は空っぽだった駐車場には、いつの間に来たのか黄色いビートがぽつんと停まっている。この距離では何処のナンバーなのかはわからない。
 駐車場のはずれには屋根付きの広い駐輪場がある。放置された数台の自転車に混じって居心地悪そうにお尻をこっちに向けて停まっているピュアホワイトのバイクは、私が乗って来たのヤマハのR1Zだ。
 駐車場の入り口では、二人がかりでピックアップトラックからバイクを降ろしている最中だ。見た所一人は女性のように見える。如月自工秋川研究所の異動組か、私のような出向組か、いずれにしても新しい入居者には違いなかった。
 私は扉のロックを確かめてから部屋に戻った。昨日、夕食用にと銚子市内のコンビニで買ったパンの残りをかじりながら一時の空腹をしのぐ。この寮は各部屋にキッチンがあるのが美点だ…がしかし、そのかわりに社員食堂なんてものはないから、スーパーやコンビニの場所を確かめておかないと食べる物にも事欠く。事実、昨日着いたばかりの私の朝食は、たった今食べたひとかけらのパンだ。
…荷物のチェックは後回しにして、とりあえず食料確保しなきゃ…
「ちょっとその辺まで買い物に行ってきます」
 管理人さんに一声かけると、私は駐車場に向かった。さっきバイクを降ろしていた赤いピックアップトラックが駐車場から出て行くところだった。後にはトラックを見送った女性とバイクだけが残された。遠目でわからないけど、少なくともアサクラの製品でない事は確かだ。
 その女性は、髪をひるがえして振り向くとバイクのスタンドを外し、白地にブルーの小ぶりな車体を押し始めた。ちょっと見でバイクの扱い方に慣れているのがわかる。
…彼氏のバイクかと思ってたけど、彼女のだったのね…
 近づくにつれて彼女のバイクの姿がはっきりしてきた。見覚えがある…そう、あれはヤマハのFZ250フェーザーだ。そのフェーザーの女性が、駐輪場で物珍しげに私のR1Zを見ている。
 私が乗っているR1Zは、アサクラに入社した年の夏に買ったもので、私の愛車としては2台目だ。1台目は父が乗っていたホンダのスクーターで、大学在学中はもっぱら私の足として利用していた。
 しかし、そのスクーターは125ccだったので原付免許では乗れず、私は大学入試のカタがついてから入学までの短い期間を利用して教習所に通う事を余儀なくされた。道交法上は小型自動二輪免許でOKなのだが、教習所の係員の奨めもあって私は中型自動二輪の教習を受けた。
 晴れて自動二輪欄に1とマーキングされた真新しい免許証は、もはや父のスクーターに乗るためだけのライセンスではなくなりつつあった。アサクラ入社とともに一人暮らしを始めた私は、大学時代のバイト代と夏のボーナスを元手にR1Zを買った。当然事後承諾だった。父と母の苦りきった表情は今でも忘れられない。
 そのR1Zのキーをライダースジャケットのポケットから取り出すと、私が目の前のバイク持ち主と知った彼女はちょっと気まずそうに会釈した。私も会釈を返した。
「あの…失礼ですが、如月自工の方ですか?」
 私は思いきって彼女に訊いた。
「え…ええ、そうですが…。あなたも?」
「いえ、私はアサクラからの出向です」
「アサクラさんから? じゃ、総務の応援で来られた方…ですか」
「ええ、研究所の総務の会計課に配属される事になりました。片桐静香です、移転完了までの3年間ですが宜しくお願いします」
「こちらこそよろしく。研究所第2企画室インテリアデザイングループの吉野めぐみです。あの…片桐さんもこの寮に?」
「ええ、302号室です」
「え! 私も3階なんです、308号室。他の女子社員は週末の土日で来る子がほとんどだから、明日までは貸し切りですよ」
 吉野さんという女性は嬉しそうに顔をほころばせた。聞けば、秋川研究所から一陣で異動したのは吉野さんのグループとエクステリアデザイングループ、総務の各部署から数名づつの40数名で、その内女性は吉野さんを含めて7名だそうだ。
 一時的にはこの寮が半分埋まるくらいの女子社員が来るらしいが、秋川研究所の総務の女子社員の多くは異動を嫌って退職するらしく、こっちで採用する女子社員の研修が済むまでの短期滞在だそうだ。
「そうね…秋研(秋川研究所)は大所帯じゃないから女子社員もほとんど知ってるけど…でも仲のよかった友達はみんな退職するって言うし…こっちで採用される人はたぶん自宅通勤だから…移転完了後も寮で暮らすのは20人もいないんじゃないかしら」
 彼女は寮を見上げて独り言のようにつぶやき、小さなため息をひとつついた。
「あ…ごめんなさい、お出かけなのに引き留めちゃったみたいね」
「え?…ああ大丈夫、ちょっと買い物に行くだけだから。昨日来たばかりで食料が何もないの。今のうちに仕入れておこうかと…」
 私は背中に背負ったデイパックを指さして言った。
「あ、そうね、私も今朝着いたばかりだから片づけより先に買い物に行かなきゃ」
 彼女は時計をちらっと見て言った。11時を少しまわっていた。
「あの…もしよかったらいっしょに行ってもらえませんか? 初めての土地だから一人で行くのって心細いし…」
 吉野さんは、私に向かって申し訳なさそうに言った。私にしても願ったり叶ったりだ。
「ええ、いいですよ。じゃ、ここで待ってますから」
 そして10分後、支度を終えて降りてきた彼女の服装はどう見てもバイクに乗るそれではなかった。この時期にジーンズにセーターで乗るのは寒すぎるし、第一彼女はヘルメットを持っていない。
「あの…バイクで行くんじゃ・・・」
 私は、駐輪場のフェーザーとビートを交互に見ながら言った。
「フェーザーはしばらく乗らなかったからバッテリーがあがっちゃったんです」
 彼女はすまなそうに駐輪場のフェーザーを見ながら言った。そして駐車場に停まっているビートに向かって歩いていった。どうやら今朝から停まっていたビートは吉野さんの物らしい。私が追いつくのを待ってビートの助手席のドアを開けると、彼女は運転席側にまわった。
「狭いクルマですけど、バイクよりは荷物積めますよ」
 そう言って微笑むと、彼女は運転席のドアロックも解除した。
「ねえ、吉野さんのバイク…ヤマハのフェーザーでしょ? 綺麗ね、とても」
 もう10年以上前のモデルだというのに、そのバイクはお世辞抜きで綺麗だった。
「よく解りますね、古いバイクなのに。片桐さんのは…R1Zですよね」
「ええ、中古ですけど…私の物になってからこの夏で2年です」
「RZ1って2ストロークだから速いでしょ。初めてのバイク?」
「いえ、2台目です。…といっても1台目はスクーターですけどね」
「私のは古いけど初めてのバイクなの。大学2年の冬からだから…そう、4年と3ケ月ってところかな」
 吉野さんはちょっと間をおいて言った。
「二輪歴は私より先輩ですね。…それより…失礼ですけど、もしかすると吉野さんって…私と同じ歳なんじゃありません? 24歳…」
 大学2年の冬から4年3ヶ月という事は、浪人していない限り今現在で24歳という事になる。初対面の相手に歳を聞くのは失礼かとも思ったが、ついつい気になって口に出してしまった。
「え? そうなの? 確かに私は今24歳なんだけど…片桐さんも?」
「ええ、24歳になったばかりですけど。春分の日なんです…誕生日」
「じゃ学年も同じだわ。私、昭和49年の6月28日だから」
「そうなんですか? それじゃ学年も同じですね」
「…という訳で、これからは敬語なしね。・・・でも、こんなに身近にバイク乗りの子がいるとは思わなかったわ。帰ったらゆっくり見せてね、これ。とりあえず買い出しに行きましょう」
 彼女はビートの低いシートに器用に潜り込むと、私が乗り込むのを待ってエンジンをかけた。初めて乗った軽スポーツカーは思っていたより狭くなかった。
「ところで、片桐さんはクルマには乗らないの?」
「うん…一応免許はあるけど、アパート近辺の駐車場代が高かったから取り合えず乗ら
ない事にしたの。必要な時は実家の父のを借りてるし…。あると便利なんだけどね」
 私と吉野さんは約2時間かけて食料品の買い出しをした。コンビニやスーパーの場所も覚えたし波崎研究所の場所も確認した。ちょっと道に迷ったけど、知らない街を走り回るのはちょっとした冒険気分だ。遅い食事を済ませて寮に戻ると、時計はすでに3時をまわっていた。
 私はスウェットに着替え、真新しい洗濯機に洗濯物を放り込むと荷物の梱包を解き始めた。一時間程過ぎて荷物のチェックが済んだ頃、不意にドアをノックする音がした。
「あ、はい」
 私はドアを半分開けてそっと顔を出した。そこにはジャージ姿の吉野さんがいた。
「もしよかったら一息入れてお茶飲みに来ません?」
「いいんですか? それじゃ…」
 私はそそくさと手を洗うと、今日買ったクッキーを携え、彼女に続いて308号室のドアをくぐった。彼女の部屋の作りは、私の部屋と廊下を挟んでちょうど対称になっていた。
「まだちょっと散らかってるんだけどね…もう今日は終わりにしたの」
「私の部屋なんてチェックしただけでストップしちゃったわ。明日が大変…。あ…これお茶菓子ね…」
「ありがとう。今コーヒー入れるからコタツに入ってて。寒いでしょ」
 そう言って彼女はキッチンでコーヒー入れ始めた。私は遠慮がちにコタツに入ると、失礼かと思いながらも部屋の中を見回してしまった。パソコンとディスプレイの大きな箱が一際目を引いた。
「パソコン使われるんですか?」
「ああ…その箱? 中は整理してない本や資料よ。箱が頑丈だから引っ越し用に使ったの。中身のパソコンは持ってこなかったわ」
「持ってこなかったって…じゃ、今まで住んでいた部屋は引き払ってないの?」
「私は引き払ったんだけどね…ただ、同居していた子がそのまま継続して住む事になったから置いたままなの」
「…で、同居していた人も使うの? パソコン」
「これから使うのよ。同居してた子って看護婦だから勤務が不規則なの。だから連絡する時は電話するより電子メールの方が便利でしょ? 私も仕事上便利だからノートパソコン買ったし…」
「なるほどね、電子メールか…それもいいわね…」
 私は良い事を聞いたと思った。確か佐久間クンの部屋にもパソコンはあったはずだ。どうせ仕事の持ち帰りの他はゲームぐらいしかしていないだろうから、これを機会にパソコンを使ったコミュニケーションもいいかもしれない。
「ところで、片桐さんも仕事でパソコン使うんでしょ? 会計課だったから」
「そうね…職場では毎日使ってるけど、プライベートでは持ち帰りの仕事をするとか年賀状作成…パソコン通信…ぐらいかな。自分のパソコンで職場の財務会計ソフトが使えればもっと便利なんだけどね…あれは職場の端末機じゃないと…」
「使いたくても使えない…と」
「そうなの…でも無駄を承知で持ってきたわ。デスクトップだから場所取るけど暇つぶしの道具にはなりそうだし」
 パソコンに始まって、仕事のウラ話まで、私たちは時間の過ぎるのも忘れておしゃべりを続けた。気が付くと窓の外は薄暗くなっていた。時間にして午後6時。彼女と私は、今から食事の支度をするより外食した方がいいという事で意見の一致を見た。
「さっきはクルマだったから、今度はのんびり散歩がてら近場のお店でも行こうよ」
 私が提案した。食事に行くだけなら駐車場所の心配がない徒歩が一番気楽だ。それに1日に2度も吉野さんのビートを使うのも心苦しかった。
「そうね、その土地の地理を覚えるには歩きがいいかもね」
 彼女も快く同意した。寮の近辺にはファミレスもあるし、ラーメン屋、個人経営の食堂もある。酒店や米穀店もあるし、ちょっと足を伸ばせばコンビニもある。正直言って私は、寮の周りにこれほどの店があるとは思わなかった。
 着替えて部屋から出ると、すでに吉野さんは支度を整えて廊下で待っていた。チェックのカジュアルシャツにオリーブイエローのセーター、ジーンズで、足元は茶色い革のウォーキングシューズを履いていた。見るからに暖かそうなオレンジ色のマウンテンパーカーも羽織っている。
「アウトドア雑誌から抜け出したようなスタイルね。格好良いわ」
「夜は冷えるから機能優先よ。片桐さんこそ、近所に食べに行くにしては気合いが入ってるじゃない? 休日出勤?」
 彼女は私の全身に素早く視線を走らせて言った。
 無理もない…。濃紺のジャケットにミニスカート、ボトルグリーンのタートルネックセーターという私の格好は、ちょっと近所に食事に行く出で立ちではない。セーターを白いブラウスに替えてスカートの丈を少々長くすれば会社訪問にさえ着て行けそうだ。でも、これにはそれなりの理由がある。
「ドジな話なんだけどさ、引っ越しの時に衣類を入れた荷物の一部を間違って実家に送っちゃったのよ。だから着る物が無いの。ジャージで行くよりはマシでしょ?」
 さっき荷物のチェックをしていて初めて気がついたが、引っ越し直前に当面必要無い衣類や日用品等を実家に送った際、私はうっかりしてこっちに送る荷物まで3箱ほど送ってしまっていた。幸いにもスーツやジャケットはあるから通勤に支障はないが、ジーンズやパンツ、秋冬物のスカート、それとコートの類は揃って実家に行ってしまった。
 つまり、今私の部屋にある衣類の内、ボトム関係は春夏物のスカートのみ。トップス関係はブラウスからセーターまで揃っているが、上着は革のライダースジャケットしかないという有り様だ。
「昼間履いてたジーンズはどうしたの?」
「残念ながら洗濯機の中よ。荷物の確認してから洗えばよかったわ」
「…で、間違って送った荷物の事は実家に連絡したの?」
「もちろん、大急ぎで発送してもらうように手配したわよ。でもそれが届くまでは有り合わせで間に合わせるしかないわね。下着と布団を忘れなかっただけ幸運だわ」
 私はおどけて言った。とはいえ、この時期に春物の45センチ丈のミニスカートというのは、小春日和の昼日中ならまだしも夜出歩くスタイルではなさそうだ。
「もしよかったら私のスカート履く? 身長差があるからジーンズやパンツは合わないかもしれないけど、冬物のロングスカートならあるわよ」
「ううん…この際、少々寒くても我慢するわ。キャンプに行くわけじゃないし」
 ありがたい申し出だったけど私は遠慮した。連れだって寮の玄関を出ると、まだ少し昼間の名残りの風が吹いていた。激しさはないけど冷たさは増している。3月末とはいえ、夜はまだまだ寒い。
 国道に出て左に曲がればすぐ前にラーメン屋の大きな看板がある。右に曲がって数分も歩けばファミレスにたどり着くはずだ。差し当たって私たちは右に折れた。
「海の街に来たのにファミレスって芸がない気がしない?」
 ファミレスの前まで来た所で吉野さんが言った。私としてもそれは同感だ。仕事で来た赴任地でも、せめて来た初日ぐらいは観光気分で歩きたい。
「そうね、磯料理とか鮨が食べたいわね。吉野さんは?」
「賛成。散歩のつもりで出たけど、エクササイズウォーキングになりそうね」
 吉野さんが嬉しそうに言った。私はパンプスで来た事を少し後悔したが、だからといって目の前のファミレスに入る気はさらさらなかった。
「私も今度の給料でウォーキングシューズ買う事にするわ」
 私たちは、河口近くの港のあたりまで行けばあるだろうとの憶測で歩き出した。しかし地図上の数センチを徒歩で行くのは思っていたよりも遠かった。歩き出して50分を過ぎた頃、やっと私たちは銚子大橋のあたりまで来た。しかし辺りを歩き回ってもそれらしい店を見つける事はできなかった。
 鉄道の駅がないこの街には駅前商店街や繁華街というものが無い。店そのものは電話帳のイエローページで見つけられたものの、土地カンのない私たちには行く手だてすらなかった。時間だけが無情に過ぎる。もう、かれこれ同じ所を2〜3度まわった気がする。私たちは初めての土地に何の下調べもなく来てしまった愚かさに気づいた。
「帰ろうか…」
 どちらともなく言い出した。帰りの道のりを考えるともうこれ以上歩く気にはなれなかった。この際、ファミレスだろうが何だろうが食事ができればいい…そんな気分だ。私たちは道を間違えないように、遠回りを承知で川沿いに橋のたもとまで行った。時折吹く冷たい川風がパンスト越しに私の脚を撫でてゆく。夏は蒸れてうっとうしいくせにこんな日のパンストは素肌とほとんど変わらないくらいに風を通す。
 スカートの中にまで這いあがってくる冷気に私は思わず身震いした。寮を出る前にトイレに行ったのに、冷えたせいか急にトイレに行きたくなってしまった。こんな寒い日にトイレを我慢するのはつらい。私は寮までの道のりにトイレがあったかどうかを思い出していた。
「ところで…片桐さん。トイレ行きたくない? 私、我慢できなくなってきちゃった」
 唐突に吉野さんが言った。彼女も私同様トイレを我慢していたらしい。
「私も行きたいと思ってたの。でもトイレある? この辺に」
「確か、そのあたりの川べりに小さな公園があったように見えたんだけど…」
 大通りから外れて少し行くと、吉野さんの言う通り綺麗で小さな公園があった。しかしそこのトイレだけは暗くて、汚くて、臭かった。扉も壊れかかっていて入るにはちょっと勇気がいるシロモノだ。
「ここに入るなら外でした方がマシよね」
 私は冗談半分に言った。もちろん私にそのつもりはない。寮まで我慢するつもりだった。しかし本気か冗談か、彼女はそうは受け取らなかった。
「そうね…この際だから外でしちゃおうか」
 そう言うが早いか、吉野さんはトイレの建物の陰に身を隠した。え? まさか!と思う間もなく、ジーンズを下ろす衣擦れの音に続いて控えめなくぐもるような音が聞こえてきた。我慢できなかったにしろ、私は彼女の度胸のよさと決断に言葉がなかった。
「ねえ、片桐さんはどうする? ここでしちゃう?」
 吉野さんは、妙にすっきりした顔で出てきたかと思うとけろっと言ってのけた。
「え!?…私? …私は…やっぱり寮まで我慢するわ」
 外でした方がマシと言った手前、ここのトイレは使えない。何だか私は知らず知らずデッドエンドに追いつめられて行くような気がしてならなかった。
 帰り道…いつしか会話が途切れがちになり、気がつくと私は無言のまま歩いていた。やっと遠くに見覚えのあるファミレスが見えてきた頃には、私は額にうっすらと汗を浮かべていた。パンプスのヒールから伝わる一歩一歩の微動が衝撃のように膀胱に波紋を広げ、歩くのさえ苦痛に思えてくる。尿意は予想以上に切迫している。もし間に合わなかったら…私の脳裏に不吉なシーンが浮かんでは消えた。
…やだ…いつの間にか濡れてる…
 ふと気がつくとショーツがじっとりと湿っていた。…というより濡れているに近い。歩く度にぬるぬると内腿の付け根にまとわり付くそれは汗などではなく、知らない間に滲み出るように漏れたオシッコに違いなかった。私はつまらない見栄に縛られて公園のトイレに入らなかった事を改めて後悔した。
「…うぅ…・・・」
 寒さに体を縮めた刹那、私は張りつめた膀胱から押し出されるように少量のオシッコが漏れるのを感じた。それはくすぐったいような熱い感触を残して湿ったショーツの中を前から後ろに流れ、ついに繊維の許容量を越えたショーツのボトムから最初の一雫となってこぼれ落ちた。何の抵抗もなくパンストの編み目をすり抜け、スカートの中から一筋の細い流れとなって足首まで伝って行く。
「あっ・・・」
 私は一瞬動けなくなった。…と同時に、目の前にあるファミレスに入って食事を済ませるという選択肢もたった今、消えた事を悟った。万一、店に入ったとたんに失禁してしまったら二度とここへは来られないし、トイレに駆け込む事が出来たとしても濡れた下着のまま食事する気にはなれない。
「片桐さん、大丈夫? 何だか辛そう」
 突然立ち止まった私を気遣って吉野さんが心配そうに声をかけた。
「…もう…我慢できない……」
 もはや恥も外聞もない。私は泣きそうな声で言った。
「片桐さん、このファミレスに入ろう。まだ我慢できるでしょ?」
「…だめ…入れない。…もう……濡れてるの…」
 私は正直に言った。彼女の目が私の下半身に注がれる。恥ずかしかったけど、私の道連れで彼女まで食事にありつけない以上、それなりの理由を言うのが礼儀だと思った。
「寮まで我慢できる? もうちょっとだけど」
「…わからない…でも何とか我慢してみる。…ごめんね、私のせいで食事…」
「いいのよ、出直せば。さあ、早く帰ろう」
 私たちは再び歩き出した。寮まであとほんの数百メートルが果てしなく遠く感じる。
「この交差点を過ぎればもうすぐ寮よ。がんばって」
 足踏みしながら赤信号を待っている私を吉野さんが小声で励ます。彼女にしても腫れ物にさわるような気持ちだろう。私は、クルマが途切れるのを待って赤信号で渡るのと歩道橋を渡って行くのと、どちらが早いか思案していた。とにかくじっとしているのが辛い。今にも漏れそうだ。
 いっそ漏らして楽になりなさいと言う声と、今のうちにガードレールの陰にでも隠れてしてしまいなさいと言う声、最後まであきらめないでと言う声が三つ巴になって火花を散らしながら頭の中を駆けめぐる。
「信号変わったよ」
 吉野さんの呼びかけに私は夢遊病者のようにゆっくりと歩き出した。彼女に気遣われながら道路を渡る私は、信号待ちのドライバーから見ればみっともない女の酔っぱらい以外の何者でもないかもしれない。信号が変わり、一斉にクルマが走り出す音を背中で聞きながら、私はよろけるように歩道橋の柱にもたれかかった。
 そして不意に訪れた静寂。…と同時に耐え難い尿意が津波のように全身を襲い、耐えきれず漏らした僅かなオシッコが冷えたショーツを再び温かく浸した。恥ずかしい雫がまた一筋、内腿を伝って滑り落ちて行く。…あ…だめ…もう…間に合わない…。
 私は反射的にスカートの裾に手をかけ、途中までたくし上げたところで思いとどまったように手を止めた。いくら何でもこんな道端でするわけにはいかない。とは言ってももう我慢できない。こみ上げる絶望感の中、私はここで失禁してしまう悲劇を呪った。
 全身に鳥肌が立ち、私の体は高熱にうなされたように小刻みに震えだした。どうにもならない膀胱の圧力に屈して、ついに尿道括約筋が力尽きた瞬間……私は痺れるような痛みと共に尿道口がぷくっと膨れて熱くなる生々しい感触をはっきりと感じ取った。
「…あ…ぁぁぁ………ぁぁ…」
 成す術もなくショーツの中に熱い奔流が溢れ出して渦を巻き、瞬く間にお尻の方まで広がって行った。私は内腿をギュッと閉じて精いっぱいの抵抗を試みる。でもそれをあざ笑うかのように熱い流れは尿道をこじ開け、膝の間をすり抜けて行った。
「……ぁ…ぁ……
 私は半ば本能的に、腰をかがめて体をくの字に折り曲げ、膝をすり合わせた。そんな事をしたところでどうにもならないのに、私はその、いかにもお漏らししていますと言うポーズを崩せないままでいた。それだけではない。途中までたくし上げたスカートもそのままで、私の手はただ、その裾を握り締めておさえるだけしか出来なかった。
 もはや止めようもないオシッコはショーツを濡らしただけでは飽きたらず、両脚からパンプスまで私の下半身を余すところ無くぐしょぐしょに濡らし、ショーツのボトムから滴り落ちるオシッコは派手な音をたてて舗道のコンクリートを叩き続けた。私は目眩がして気が遠くなり、ふと気が付くと私はオシッコの水たまりに膝をついていた。
…だめ…座ったら…スカートが汚れ……
 わかっているのにどうにもできなかった。私は精根尽き果てたように、力無く水たまりの中に座り込んだ。スカート越しにお尻に伝わる濡れた冷たい感触は、私の漏らしたオシッコでたちまち生温かく変わっていった。
 精神の糸が切れた私は、ついに我慢する事を放棄した。トイレに座っている時のように完全に緊張を解いた私のスカートの中からは、いつ果てるともなく溢れる温泉のようなオシッコがほのかな湯気を昇らせながら舗道の上に流れ続け、驚いたように立ち尽くす吉野さんの足元まで達していた。

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