異常な嗜虐趣味


 キアシアの父、ガラス・テイルは、キアス村の村長でもある。キアス村は、そもそもは開拓民達の村だった。やがて街道が敷かれ、都市と都市を繋ぐようになると小さな共同体は一気に発展した。ここ数十年のことである。キアス村という名前の由来は、ガラス・テイルの4代前にさかのぼる男、キアス・テイルの名を取ったものである。キアシアという名前も、キアスにちなんでつけられたものだ。
 ある日キアシアは、唐突に父親から嫁にいけといわれた。急成長した村の治安を守るために王国から派遣されている村落守護兵団、通称護兵隊の隊長がその相手である。まだ20歳という若さで立派に隊長を務めあげるほどの人物で、礼儀正しく、村人達からの信頼も厚い男だった。
 街道が通じて宿場町となったキアス村の住民にとってもっとも頭が痛いことといえば、旅の過程でキアス村に立ち寄る多くの余所者が働く狼藉のたぐいだ。一日に多いときでは千人もの人間が通り抜け、そして金を落としていく宿場町は、より多くの金を落とさせるため、また旅に身を置く男達の一夜の妻として、街のはずれや裏道では博打場や娼館が軒を連ねていた。そこには当然、身元も不確かな、また見るからに堅気ではなさそうな人間が多くあつまる。
 護兵隊長バイアレルは、そんな村の治安を実に良く守った。わずか30名しか居ない護兵隊をとりまとめ、犯罪が起きれば例え深夜であってもすぐに駆けつけられる体勢を作り上げた。結果、昼ならず夜までも安心して町中を歩き回れるほどに治安が守られるこの村は、ますます発展していった。
 過去に何度か、街へ略奪目的にやってきた盗賊団を撃退したこともあり、護兵隊長のバイアレルはいまでは村の英雄扱いである。まがりなりにも国王直属の護兵隊隊長という地位に身を置くバイアレルであったが、それでも村人達に分け隔てなく接した。年長者には敬意を払い、年少者にも礼儀正しい、バイアレルとはそういった村民の信頼厚い人物なのだ。
 だが、人間として良くできた彼にも一つ難点があった。彼は日中、決して兜を取ることがない。夏のどんなに暑い日であっても、面頬をおろし、人前では素顔を見せなかったのだ。少年時代、火事場より赤子を助け出すために受けた傷のせいである。顔の右半分が焼けただれ、皮膚が引きつってしまっているのだ。そのため、片面がまるで地獄の悪鬼さながらの様相を呈している。
 村人達は口をそろえて『人は顔じゃないさ』と言ってくれる。その心遣いが、バイアレルには嬉しく、そして同時に辛くもあった。
 若い女というのは残酷なものだ。どんなに常日頃彼を褒め称えようと、いざ恋愛、結婚話に及ぶと『でも…』ということになる。一応は逃げ口上として騎士であるバイアレルの身分のことを言う。だが、彼女らが彼の顔にある傷のことを考えないはずもない。
 キアシアもそんな少女達の一人であった。友人達と幾度と無く理想の男性について話し合う夜を過ごしたこともある。村の男性を一人一人上げていくと、確かにいつもバイアレルは上位にランク付けされた。だが必ずその上位に位置する男性が居た。それが、護兵隊副隊長のエメイズである。
 鋭い碧眼、すらりと伸びた鼻、薄く、赤い唇。とても兵士とは見えないような弱々しい外見であるが、副隊長であるからには剣の腕はそうとうに立つ。少女が夢見る『王子様』の像を、このエメイズは余すところ無く持っていたのだ。立場がら、どうしてもバイアレルとエメイズは比較されてしまう。分け隔てなく礼儀正しい騎士バイアレルとは反対に、貴族の嫡子であるエメイズはどうしても民草に対して高飛車な態度をとることが多い。信頼もそれ程厚いというわけでもないが、高慢な態度が、少女達の目にはたまらなく高貴に映るのだ。
 キアシアも、エメイズに理想の男性像を投影していた。だから、唐突に嫁ぎ話が父親の口から出たときには深く考えもせず、ただ反抗した。
 別に家出まで考えた訳ではなく、考える時間が欲しかった。夕食の席でその話を聞かされたショックから家を飛び出したキアシアは、親しい友人の一人であるクアナと話をしようと彼女の家に向かった。あまり好ましいこととは言えないが、治安の良さから、この村では夜に女同士で歩き回ることが珍しくない。二人きりで話をするならば、狭い家よりも外の方が適していると判断したクアナは、キアシアを連れて外に出た。
「それで…あなたはどうするつもりなの? キアシア」
 夕食を終えたばかりだったクアナは、それでも嫌な顔ひとつせずに親身になって話を聞こうとした。他ならぬ親友の一生が決まる決断なのである。
「私だって…バイアレルさんは嫌いじゃない……王様の信頼も得ている人だって話だし、お父さんのためにも、家のためにも申し分のない人だと思うわ。でも、あまりに唐突なんだもの…」
「そうね、おじさんももうちょっと年頃の娘ってものを知るべきよね。いきなり『おいお前、ちょっくら嫁にいきなさい』だなんて、お使い頼むみたいに言うこと無いのにね」
 あんまりに思い詰めているキアシアを和ませてあげようと、クアナはキアシアの父親の物まねを交えておどけて見せた。それが結構似ていたりしたものだから、思わずキアシアは吹き出してしまった。
「ぷっ…く、クアナ…、人が真面目に悩んでいるのにそれは無いんじゃない?」
「それがダメなのよ。真面目になっちゃったら、ふざけることが悪いことだって考えるようになっちゃうものなの。もっと気楽になりなさい。幸せってのは、笑えるってことなんだからね」
 もしこの台詞を言った人間がクアナでなければ、人ごとだと思って無責任すぎると怒りだしたかもしれない。クアナが決して軽率な考えで言ったわけではないということを、キアシアはクアナとの長いつきあいの中で学んでいた。
「そうね、傷のことさえなければ、あんなにいい人は居ないもの。ありがとうクアナ。凄く楽になったわ。胸のつかえが取れたってこういうことを言うのね!」
「その調子その調子。ねぇキアシア、あなた知ってる? 泣いてる顔はブスだけど、笑ってるあなたってもの凄く可愛いのよ」
 これまた言ったのがクアナでなければキアシアは怒り出すであろう台詞だった。クアナの発する悪口は、彼女が心を許した証拠なのだ。彼女の悪口は、総じて家族や親友に向けられる。心の通じない人間に対して、クアナは決して悪口を言うことはない、そういった少女なのである。クスクスと笑いながら、何かクアナに言い返してやろうとキアシアが面を上げたそのとき、
「そうだなぁ、でも俺にとっちゃぁどっちもいい尻してて、ずいぶんとそそられるもんだぜ」
 不意に背後から、下品な声がかけられた。はっと気づいて振り向くと、暗がりに立っている数人の男が見えた。二人はいつの間にか、知らぬ内に裏通りの方にまで入ってきてしまっていたらしい。幾ら治安の良いこの村の中とはいえ、全く隅々まで護兵隊の目が行き届いているわけではない。昼間ならまだしも、こんな夜更けにうろんな場所で女同士の二人連れとは無防備も甚だしい。男達の目的は、彼女らの体をつま先から腰や胸を舐め上げるように見回すいやらしい視線からも明らかだった。
「……ご、護兵隊を呼ぶわよ」
「さぁて、頼みの護兵隊様方も、こんなところまで来てくれるかな?」
 男の台詞は、なんら根拠もないものだった。夜中であろうとも市中見回りを怠ることのない護兵隊ならば、女性の悲鳴を聞きつければものの数分もしないしないうちに駆けつけてくるだろう。だがもちろん、その言葉の目的は別のところにあった。
「き、来てくれるに決まってるわ、あんたたちなんか、エメ……バイアレル隊長がやっつけてくれるんだから!」
 女だからといってなめられてはいけないと、必死で言い返すキアシア。思わずエメイズと言おうとして、意識してバイアレル隊長と言い直す。17の少女の中で、王子様の像は眉目秀麗なエメイズの顔から、バイアレルの鎧姿と優しく太い声に取って代わっていた。
「来てくれると良いなぁ、お前らの、悲鳴を聞きつけてなぁ?」
 悲鳴、を強調して男は言い、視線を二人の娘からその背後にずらした。男の視線の変化から、キアシアとクアナが全てを察したときには既に遅かった。後ろから二人の男が彼女ら二人の口を分厚い布で塞いだのだ。男の台詞は、このための時間稼ぎだった。
「いいぞっ、そのまま連れ込んじまいな!」
 男が叫び、同時に一団がこちらへむかって走り出す。二人は必死になって抵抗したが、口を押さえられて声を上げることもままない。次々と体へ取り付いてくる男達によって手足の自由も奪われつつあった彼女らは、毛ほどの抵抗も不可能になってしまった。部屋の中へ連れ込むまで待ちきれないのか、担ぎ上げられた彼女の胸や尻を、無遠慮なごつい手が服の上からなで回す。鳥肌が立った。中には服の隙間に手を滑らせて、下着に潜り込み直接触ってくる手もあった。今まで誰にも触らせたことのない無垢の肌を、これから蹂躙されるのだと考えると悔しさのあまり涙が流れた。
「そこまでだ!」
 凛とした声が、あたりの空気を一瞬にして凍り付かせた。
「貴様らその女性をどうするつもりだ! 返答によっては王立守護兵団副隊長エメイズ、この命を持って抗ずる覚悟があるぞ!」
 男達はひるんだ。エメイズを名乗った男は、護兵隊の鎧こそ身につけては居ないものの、その語勢には威厳があった。当人であることはだれもが疑わなかっただろう。
「ちっ、こりゃぁ相手が悪ぃな……」
 エメイズ一人であれば、ならず者達も多勢に無勢と言うことで刃向かっていったかもしれない。だが、エメイズが名乗り終わるやいなや背後から数名の男達が現れたのだ。彼らもまた鎧は身につけていなかったが、身のこなしを見れば良く訓練を受けていることは明らかである。非番のエメイズとともに飲み歩いていた護兵隊員であろうと思われた。
「くそっ、覚えてやがれ」
 教科書にも載りそうなほど決まり切った捨てぜりふを放ち、そのまま少女らをその場に投げ捨てて男達は退散してしまった。
「大丈夫だったか? 女の二人連れでこんなところへ近寄るなんてどうかしているぞ」
 いつの間にか二人の元へと近づいてきていたエメイズは、地面に座り込んでいる少女らを見下ろすようにして声をかけた。あまりのことにぼーっとしていたキアシアはエメイズの声で我に返り、男達にもみくちゃにされたせいで乱れに乱れた衣服の裾をあわてて直す。
「まったく、せっかくの非番だというのに仕事をさせないで貰いたいものだな」
 髪の毛をかき上げながら、ため息混じりにエメイズは言い捨てた。襲われかけた少女に対して投げかけるにしてはあまりにも思いやりのかけらもない言いぐさだった。エメイズにしても立場上仕方なく助けたといった風である。だが、バイアレルに対する先ほどの思いは何とやら、キアシアの目にはエメイズが自分の危機にさっそうと駆けつけた王子様に映っていた。実物が目の前にいるのといないのとでは、少女にとってその想いは何割か違うらしい。キアシアは、思い切って告白してしまおうと決心した。
「あ…あの、エメイズ様……ちょっと、お話があるのですが……」
 キアシアに熱っぽい目で見つめられ、エメイズはおやと思った。
(この娘の顔は見たことがあるぞ、確か村長のガラスの娘……というとあのバイアレルと結婚しようとかいう奇特な娘か! 暗くてよく見えなかったが、もう一人の娘もそういえば……)
 これは面白いことになった。あの気に入らないバイアレルの野郎に一泡吹かせてやれると、エメイズはほくそ笑んだ。美男子きわまる顔立ちとは裏腹に、エメイズという男の心根には尽きることのない嫉妬と欲望が巣くっている。村人の信頼を受けているバイアレルがうらやましく、そして何よりたかが騎士ごときが貴族である自分の上位に立っているという事実が常日頃から我慢のならなかったのだった。キアシアにとって不幸だったことは、全てエメイズという男がこういう立場にいたことに端を発していた。
 エメイズは一計を案じ、そして実行に移した。
「そうか、話か……ちょうど良い、私も君に少々話したいことがあったんだ。そっちの女性のことは仲間に頼んで置くことにしよう。ちょっと待っててくれないかな」
 言うなりエメイズは振り返り、ことの成り行きを見守っていた他数名の護兵隊員達の元に歩み寄った。
「あの娘が私に用事があるそうだ。今夜はこれで解散にしよう」
「それじゃ、俺達だけでまた別の店に行くことにしますよ」
「ああ、悪いな」
 ここまでを声に出して喋り、キアシアとクアナの方をまるで盗み見るように目線を滑らしてから、エメイズは護兵隊の一人の耳元に口を寄せた。
(もう一人の女だがな、あいつはイミヒトの娘だ。後のことは私の名前でなんとでもなる)
 村を守る立場にいる人間の言葉だとは到底思えない、だから好きにして良いぞと言外に含めた言葉だった。
 イミヒトとは、いわゆる被差別階層を称して使う言葉である。もともと特殊な獣を調教するという職業へ就いていた人間のことをさした言葉であったが、その動物は、ある時期をもって原因不明の奇病に連鎖的に襲われ瞬く間に絶滅してしまったとされている。以来、森の中で独立した集落を作って暮らしていたイミヒトたちは職を失い、また病気や呪いといった当時流れた数々の噂によって、文字通り人々から忌み嫌われる存在となっていった。
 人は弱者であり、より弱い者を求める。搾取される民衆が、自らよりもっと弱い立場にいる人々を見ることで己の慰めとすること。イミヒトという存在をそういう社会的立場に置くと言うことが、支配者層に向けられる不平不満の感情を緩和するという意味で有効だったことは言うまでもない。人々はイミヒトという都合の良い”差別するべき相手”に日頃の鬱憤を追儺して過ごしてきた。必要とされるから存在するのだという言葉通り、差別は、数百年という歴史を重ねて今なお残っているのだ。
「待たせてしまってすまない。こちらの女性のことは彼らに頼んだから、そうだな……近くに私の行きつけの店がある。そこで話そうじゃないか」
「はい…」
 それじゃまた明日ねとクアナに挨拶をして、キアシアはエメイズの言うがままに肩を押されて歩を進めた。クアナが不安そうにこちらを見ていたが、護兵隊の人たちなら安心だと、クアナは無事に家まで送り届けられるものだとキアシアは決めつけてしまっていた。クアナを送るエメイズの取り巻き連中が、どれも貴族の第二子などの身分の、言うなればエメイズと同感覚の人間であるということなど、キアシアは知る由もなかった。

 行きつけだという店に入ると、すぐにエメイズはカウンターの向こうに立っている店主の耳元へ目配せをした。でっぷりと太った禿頭の店主は、幾度かうなずいてから彼らを二階の一室へと通した。ごく狭い酒場のように見えた一階とは裏腹に、カウンターの脇を抜けた奥や、階段上の廊下には幾つかの扉が並んでいる。
「人の居るところでは話しづらいこともあるだろう。ここは僕の隠れ家みたいなもんなんだ。一人になりたいときなんかはね、よくここに来るんだ」
 ひときわ奥まったところにある扉を開けると、狭いながらも室内は洗練された調度品で彩られていた。部屋の中心に置かれた小さな丸テーブルには実に細やかな細工が施され、棚の上には高価そうな金時計が飾られている。室内は全体的に柔らかい赤で統一された配色で、窓枠にかけられたミルク色のカーテンが夜の闇を遮断していた。
「素敵な部屋ですね…とても…落ち着きます」
 キアシアがなんとなく感じていた不安感は、この部屋へ入るに至って消え去っていた。女性を安心させる要素をふんだんに盛り込んだ室内調度のおかげと言えよう。だが、彼女がもっと注意深い人間であったならば、窓が二重窓であったことや、四方の壁はおろか床天井までもが防音建築であったことに気づいただろう。
 ともかく、どうやらそこが宿であるということまではキアシアにも分かっていた。だがあまり柄の良くない連れ込み宿だということまでは分かっていなかったようである。エメイズの持つ護兵隊副隊長という肩書きも手伝ってか、彼女はすっかり安心しきっていた。
「それで、僕に話というのは?」
 エメイズはキアシアに椅子をすすめ、もう一つの椅子に自分も座ると腕を組んで話し始めた。
「はい…あの、バイアレルさんのことなんです」
「バイアレル隊長のことでしたらよく存じてますよ。これでも副隊長ですからね」
 軽い笑い混じりに冗談めかしてエメイズが答えた。キアシアも、それはもちろん存じておりますと、口元に手を添えてうつむき加減に返す。思ったより軽い口調で、エメイズが気さくに話してくれたのでキアシアはほっとしていた。日頃、他人に対して余り優しく接しないエメイズを見ていて、もっと気むずかしい人間だと思っていたのだ。先ほど表で出会ったときと、口調が優しく変わっていることも、それが素顔なのだろうと思った。
「で…バイアレル隊長がどうかしましたか?」
「いえ…その…どんな人なのかなと思いまして……」
 こんな夜更けに折り入ってする相談が、バイアレル隊長がどんな人間なのかでは少々会話がおかしい。仮にもあこがれの人と真夜中に二人きりという事実と、なにを話したらいいのかという緊張感とが、キアシアの頭をまともに働かなくさせていた。
 エメイズの方はといえば、もとより少年時代をひねくれた貴族社会の中で過ごした人間である。豊富な女性経験と照らし合わせてみれば、キアシアの考えなどそれこそ手に取るように分かっていた。あとはどうやって落とすか、そればかりを考えていた。もっとも最終的に強硬手段に持ち込んだとしても、"それ"用にあつらえられたこの部屋ならば外に声が漏れる心配もなかったのだが。
「どんな人かと聞かれましても、プライバシーに関わることですからね。簡単には話せませんよ」
 まずは自分を誠実な人間だと思わせること、それが第一手。エメイズの頭の中で、続けて第二手、第三手の術符が繋げられていく。
「はい…それはごもっともなのですが…あの、私、村長のガラスの娘でキアシアと申します」
「他ならぬガラス殿がお大事にされている可憐な姫君のことですから、あなたのことはもちろん知ってますよ。失礼ながらこんな田舎にはもったいない器量だと日頃から思っておりました」
 いちいち大げさに形容することで、自分が目の前の相手に悪くは思われていないのだという印象を植え付ける。
「既にお耳汚しかと思いますが…私、バイアレルさんのところへ嫁ぐことになりましたのですが…それで、その、どのような人なのか気になってしまって、…父の言葉が信用できないわけでもなくって、バイアレルさんがいい人だというのは聞いておりますし、私も悪い人じゃないとおもいますし、でも、その……」
 胸に支えた言葉を一気に吐き出そうとしてみたが、うまく言葉にならない。気持ちばかりが先行してしまって、自分でも何を喋っているのか分からなかった。
「落ち着いて下さいキアシア、あなたの言いたいことはだいたい分かりました。人づてでは不安だから、実際に近くにいる者から彼の人柄を聞いてみたいと、そう言いたいのですね」
 落ち着いた表情で、目の前で真っ赤になっているキアシアの目をしっかりと見据えた。
「隊長は、立派な男ですよ」
 エメイズは微笑んでそう言いながら、ゆっくりと目線をテーブルに落とした。話そうか話すまいかという思わせぶりな仕草だ。もちろん彼の頭の中では、バイアレルの名を貶めるには何を話せばよいのか、ただその一点についての策謀が渦を巻いていた。
 不意に、エメイズの視線がテーブルからキアシアの右目へと移ろいだ。すくむような視線で射抜き、おもむろに口を動かしはじめる。人を惑わす言葉を操るエメイズの狩りが始まった。

 きっと、あたしは自分のことが嫌いなんだ。
 いつからだろう。度重なる暴行に抵抗しなくなったのは。
 抵抗すれば、悪いのはあたしと言うことになる。
 死のうと思った。だったらその前に殺してやろうとも思った。
 でも死ねなかった。殺せなかった。臆病だからじゃない。世間がそれを許してくれないから、だから思い切れなかった。
 家族が居たから。父さんは最初から居ないけど、母さんが居た。
 辛いだろうけど、生きていなさいと言う。死んでしまっては何もかもおしまいだから、生きていれば良いことがあるから、って。
 母さんは、顔に火傷を負っているせいで、顔を隠して過ごしている。バイアレルさんのように、名誉の負傷じゃない。人に見られるのが嫌だからと、若い頃に自ら焼いたんだという。
 あたしは優しい母さんの、そんな卑屈な部分が嫌だった。
 その気持ちが分かるようになったのは最近のことだった。
 小さい頃は、訳も分からず泣いていた。殴られたら、痛い思いをしたくないから泣きやんだ。そうしてじっと我慢していればやがて解放された。
 男の人に声をかけられるたびに、またかと思った。断ることもできなかった。断れるはずもなかった。あたしはイミヒトなんだから、イミヒトは人間様とは違うのだから、人間様に逆らってはいけないんだと、そう体に覚え込まされた。
 あたしの顔がいけないそうだ。何もしないで居ても、男にそうして欲しいとねだっている顔だという。何人もの男にそう言われた。だとしたら、そうなのだろうと思う。男の気持ちなんて分からない。あたしは女だから。女だからこんな目にあわされるんだと思う。
 母もそうだったんだろう。それで、顔を焼いたんだろう。
 でもあたしは顔を焼かずにすんだ。バイアレルさんが来てからだった。なんでも、イミヒトというのは古い古い習わしの名残で、イミヒトだからといって、他の人たちと同じ人間なんだと、そうバイアレルさんに言われた。
 毎日のように蔑んだ目で見られて、無邪気な子供達から石を投げられて、そして犯され続けた日々は、全部嘘だったそうだ。もうそんなことはしなくて良いんだと、そう言った。
 実際、護兵隊が警備体制を整えて以来、あたしに対する肉体的な虐待は無くなった。
 小さい頃から母親の火傷をみて育ったせいか、バイアレルさんの顔の話を聞いてもあたしはどうとも思っていなかった。顔なんて、異性を引きつけるための餌なんだと、あたしはそう体に刻まれていた。
 あの男どもと同じ、バイアレルさんも同じ男なんだ。でも、バイアレルさんはあたしを解放してくれた。守ってくれた。あたしのために王様がこの村に遣わした騎士なんだ。
 キアシアが、そのバイアレルさんと結婚する。
 それでも、おめでとうって言わなくちゃいけない。
 キアシアは、お嬢さまだから、汚いことはなんにも知らない。あたしがこんな目にあってることも、キアシアは知らない。知って欲しくない。あんまりは昼間会わないようにしてるし、多分イミヒトっていう言葉すら知らないんじゃないだろうか。
 キアシアには、心の中まで綺麗でいてもらいたい。それで、バイアレルさんならきっとキアシアを綺麗なままで居させてくれると思う。それで良いと思う。それが良いと思う。
 バイアレルさんは強いし、優しい。こんなあたしでも守ってくれた。責め苦から解放してくれていた。小さい頃から毎日毎日、生理も何もないうちからいやらしいことされて、犯されていたあたしを救ってくれた。
 でも、それもエメイズがやってくるまでだった。
 貴族なんていう高貴な人にとってみれば、あたしみたいな人間はどう見えるんだろう。
 一人じゃなかった。護兵隊のうちの何人かも、エメイズと一緒になってあたしを犯した。
 イミヒトは、人間と違うから、人間の子は孕まない。彼らはそう言っていた。そう言って中に出した。
 そして今も、あたしを犯している。
 このことをバイアレルさんや他の人間に言えば、あたしを殺すという。母さんを殺すという。それで本人が破滅するならそれでもいいと思ったけど、エメイズは王国でも重要な地位にいる人の息子らしい。
 イミヒトという習わしは、古い古いもので、馬鹿げた迷信だとバイアレルさんは言っていた。でも、いまだそのことを気にする人間も居るとも言っていた。イミヒトは、犯そうが殺そうが、貴族の立場を揺るがすほどの存在では無いみたいだ。
 それで、結局なんにも出来ない自分のことが嫌いなんだ。
 いくらふざけたって、いくら笑えたって、幸せなんか、気楽になんかなれっこない。
 良く鍛えられた筋肉質の肉体が、白くたおやかな裸体を蹂躙していた。壁に掛けられたろうそくの明かりだけが唯一の光源という薄闇の中では、純白の肌ばかりが目立つ。日に焼けた硬い指先など、まるで闇の一部に溶け込んだかのようだ。それがゆるゆると蠢きまわり、こすり上げるようにやわらかな乳房をまさぐる。だが、こりこりと赤い乳首を弄ぶ手の動きは、どこかおざなりだった。そのかわり、打ち付ける腰ばかりが激しく動いている。
「はぁっ…あっ…くぅ…………あ、ああっ」
 うつぶせに組み伏せられて、尻だけを持ち上げられた格好で犯されている少女の口から、辛そうなあえぎがこぼれた。
「どうした、いっちょまえに感じてやがるのか? イミヒトの娘が、ハイヒューマンの末裔たるユーコン貴族様の相手が出来て光栄に思えよ」
 鍛えられた肉体にふさわしく、激しく腰を叩きつける動作を10分以上も続けているにも関わらず、男は息ひとつ切らせていない。有り余る力を持て余すように、上半身を背中に密着させて両腕で抱え込み、力を加えればそのまま手折れてしまえそうな少女の裸身を蹂躙し続ける。
「ひっ、ひぃっ、ダメぇ……そんなに強く…しないで…」
 もうこうしてどれだけ犯されていたのだろうか、はかなげな白い肌の何カ所にもミミズ腫れが跡を引き、それが重ねられた行為の激しさを物語っていた。
「なんか言ったか!? オマエ、ひょっとして俺に命令したつもりか?」
 丸く赤い腫れが幾重にも輪を描いている乳房が、無骨な男の手によってぎりりと締め上げられる。充血した乳首がさらに赤く染まって、今にも血が吹き出さんばかりにわなないた。
「ぐぅ……ひぃ…ケ…ぁ……」
 もはや助けを求める悲鳴も枯れ果て、苦痛にうめく少女の喉からはくびり殺される小鳥の断末魔にも似た掠れ声が発せられるだけだった。
「…そろそろ、いくぜ」
 もう既に、少女は己の膣裂の中にその場にいる数名の男の精を一通り放たれていた。血と精液にまみれたペニスがカリ首まで大きく引き抜かれ、一息に強く打ち込まれる。破瓜の血などではない、繰り返し広げられ、炎症を起こし、そうして裂けた皮膚からにじむ血だった。
「ふっ、ふうっ!」
「あぁ……」
 再び、放たれた生暖かな精液の感触が腹の中にぬるぬると広がる。幾度も感じたその嫌悪感に対して、少女はただただ諦めた声をうめかせるだけしか出来なかった。逆らえば、更なる暴力を招くだけだった。
「はっ、これだけ犯せばいくらイミヒトでも貴族様の子を孕むんじゃねぇのか?」
「何言ってんだ。こいつは獣の血を引く呪われた人間ならざる種族なんだぜ。人間じゃ無ぇんだ。ましてや俺たち神に選ばれた高貴なるハイ・ヒューマンと血が混ざるはずもねえだろう」
「まぁ…な。万に一つも可能性はねぇから安心だ」
「…………」
 貴族の子息らはそれぞれ好き勝手なことを言い合っていた。イミヒトという種族の存在も迷信であり、また彼らの言うハイ・ヒューマンというのもとっくの昔に滅びた幻想である。間違った通念に基づいた知識だが、古代の幻想を求める貴族たちの間では常識として通っていた。いや、常識だということにしておきたかったのだろう。それだけが、封建支配の危うい基盤が成立するよりどころだった。
「エメイズさんも、今頃は上手くやってんのかね」
「でもさ、あいつって、ガラスの一人娘だろ? 幾ら何でもまずいんじゃねぇのかな」
「馬鹿だな、だからこそじゃねぇか。一人娘がキズモノにされたって知れて見ろ。平民とはいえ、なまじっか身分があるだけにそれこそ嫁のもらい手もなくならぁ」
「って言ってもよぅ。相手はあのバイアレルだろう? 奴、根っからのお人好しだからなぁ」
「同情まじりでめとっちまうっていうのか。だからよ、それだからエメイズさんはあの娘に有ること無いこと吹き込もうって腹づもりなんじゃないのか?」
「そういやそんなこと、前にもやったことあるって言ってたっけ」
「ああ、そんときは城にいた侍女だかなんだかじゃなかったかな。そうそう、そのときも確か婚約の知らせの直後だったぜ」
「エメイズさん、他人の幸せが許せないタイプだからなぁ」
「はは、俺も結婚話が決まったら気ぃつけねぇといけないな」
「そういうこった」
 散々に少女を犯していた男たちの性欲もようやく落ち着いたのか、しばらくの間、彼らは裸のまま思い思いの格好で雑談にふけっていた。その中の一人が、全裸のまま捨て置かれた少女の肌に目を向ける。しばしの休憩により獣性が取り戻されたのか、男は目を血走らせて再び立ち上がった。
「あいつ、放っておくのもなんだしな、俺もう一回やりたくなった。今度は口でやらせてみよう」
「よーし、折角だから舌で綺麗にして貰うか」
 赤みを帯びた膣口からこぼれ出る精液もそのままに冷たい木の床に伏せっていたクアナの目から、一筋の涙が頬を伝わり流れ落ちた。
(キア…シア……)
 自分のことはとうの昔にあきらめていた。このような目にあうことも初めてではない。悔しく、やりきれない思いに死を選ぼうとしたこともあったが、一度はバイアレルに助けられた。そから死のうとは考えないようになったが、バイアレルの力もエメイズにまでは力が及ばなかった。知らせれば家族やバイアレル自身も死ぬことになるぞとクアナを脅迫して、今回のように取り巻きに強姦させることも有れば、自らの異常なまでの嗜虐趣味を満足させるためにクアナを傷つけたこともあった。クアナには、諦める以外の術はなかった。
 だが、今まさにエメイズの毒牙がキアシアに及ぼうとしていたことを男たちの会話から知ったのだ。かといって、クアナの腕力で訓練を受けた屈強な男たちをうち倒してキアシアを救いに向かうことは不可能である。クアナの目から流れた軌跡は、自身の無力さとエメイズの所業を呪った末の、闇に溶け込む真紅の涙だった。

「……今話したことが、僕が父から聞いた全てだ。又聞きだから誇張もあるだろうし、僕もバイアレル隊長が王の信頼を得るためにそこまでしてたなんて信じたくない。だけど、王立情報部の長である父がそんな嘘を言うとも思えない」
 結論を避けた言い方で、しかしキアシアの導く答えをひどく限定する論法でもって、エメイズは長い話に終止符を打った。
「……」
 エメイズが話をしている間、もし端から見ている者がいればキアシアの顔色が見る見るうちに青ざめていく様を観察できただろう。机に付いた時までは、憧れの人を前に顔を赤らめてすらいたキアシアは、話が終わるまでのこの短時間の内に、まるで不治の病に冒された病人のように焦燥していた。
「信じられないのも無理ないさ」
 そう言ってエメイズは椅子から腰を上げた。その拍子に椅子の脚がガタリと鳴ってキアシアを驚かせた。何も信じられなくなったという表情で縮こまっているキアシアの肩を、側に歩み寄ったエメイズが優しく抱いた。
「僕はいつも思うんだ。そうして得た地位について、それでも現在の彼は村人に敬われている。だったらそれでもいいんじゃないか、って。それがいつまでも続くなら、外敵の脅威に怯える毎日を送っていたこの村の人たちは、彼のおかげで少なくとも略奪や犯罪に悩まされることは無くなったんだ。バイアレル隊長がが優秀な軍人であることは間違いないのだから、そのために犠牲になった人たちは、この村の繁栄を持って報われてるんじゃないか、とね」
「……でも」
「そう、君がバイアレル隊長に嫁ぐと言うことを考えると、ひょっとしたら僕はこのことを君に話すべきじゃなかったのかもしれない。知らずにいれば優しい夫で済んだことなんだ。でも結局、僕は話してしまった。知らないままで過ごすには、あまりにも重たいことだから……それに、できれば、君を救いたいと思うから……」
 椅子に座ったキアシアの肩を背後から抱いたまま、朴訥な口調で語っていたエメイズは、語尾を震わせながらキアシアの豊かな髪に甘えるような仕草で顔を埋めた。
「エメイズ様……」
「キアシア…お願いだ。どうか、エメイズと呼び捨てにしてくれないか……そんな言い方では、僕はどうやっても君に近づくことが出来ない」
 わざわざここまで手の込んだ芝居をしなくても、別段エメイズが女に困るというようなことは無い。演技の快感と、騙す快感、この両方をたまらなく好む彼だからこそ、純朴そうな少女を選んではこうして毒牙にかけるのだ。
「…エ…エメイズ……」
 肩に掛かった髪の毛越しに、エメイズの緩やかな呼吸を首筋に感じた。逞しい男の腕で肩を抱かれる安心感と、間近な吐息の確固たる存在感によって、キアシアの心は父の手に包まれていた赤子のころを思い出していた。眠気にも似た快楽が後頭部からゆるゆると全身に広がっていく感覚。自分の頭のすぐ脇にエメイズの頭がある。頬が熱を感じ取り、エメイズの暖かさを唇で求める行為がとても自然なことに思えた。
「キアシア」
 エメイズの口から自らの名がささやかれ、永遠とも思われる緩慢な動作はためらいがちに互いの唇を導き会わせた。どんな言葉の描写も無力な涙にキアシアの瞳がたゆたって、やがてこぼれた一筋の流れがエメイズの鼻梁も湿らせた。
 心地よい眠りも朝には覚めてしまうように、キアシアが今望んでいる永遠の瞬間も唐突に破壊された。キアシアが陶酔しているこの部屋という空間と、暴力的なまでに現実的な外界とを結ぶ唯一の門である部屋の扉が、けたたましく打ち鳴らされたのだ。いや、打たれるなどと言う生やさしいものではなく、部屋の中へ響きわたる轟音は間違いなく扉を破壊しようとしていた。
「どっ、どうしたっ、何事だ!」
 突然の出来事にうろたえるエメイズと、あまりの唐突な場面転換にあっけにとられているキアシアの目の前で、三回、四回と鳴動していた扉は、五回目の衝撃でついに砕け散った。
「貴様! どうしてここにっ!」
「……!?」
 木製の扉は、すでに内部が腐り始めていたのか、破壊されると同時にもうもうたる埃煙を立ちこめさせた。ぱらぱらと小片を飛び散らせながら、やがて廊下から吹き込む風によって吹き飛ばされた埃のなかから姿を現したのは、青い鎧兜に身を包んだ騎士、バイアレルその人であった。
 どうしてこんなことになったのだろう。私は一体何をしたのだろう。
 父親によってもたらされた結婚話にショックを受けて家を飛び出し、クアナと話し、エメイズと話し、そこにバイアレルが乱入して、その後はあまり覚えていない。気が付けばもう空が白みつつあった。
「…うして」
 どうして、と言おうとしたが、あれから一晩中自室でこうしてうずくまっていたせいなのか、うまく声にならなかった。ベッドの上に座り込んでいると、肩にかけた毛布がやたらに重く感じられた。そのけだるさが、ともすれば呼吸すら忘れそうなほど鈍重にのし掛かってくる。
 それでもまだ声を出す気力が残っていた自分に驚いた。窓から射し込む朝日が、体に染み込むような暖かさを持って、足下からじわじわと体をあがってくる。次第に頭が明瞭になってきて、昨晩のことが思い出された。
「エメイズ…さま…」
 そうだ、あの口づけの瞬間から全てが崩れはじめたんだと、キアシアは悲しみにも似た後悔にさいなまれた。本当はずっと昔から予兆はあった。だけど、何も知らない平和な自分がそれに気づくことが出来なかった。気づこうとしなかったのかも知れない。もっと以前に気づいていれば、こんな自分でもクアナの救いになったかも知れない。クアナには、励まされてばかりだったような気がした。
 扉を粉砕して現れたバイアレルは、普段の柔らかな物腰の彼からは想像も付かないほどの怒気を全身から発していた。何言か叫んでキアシアを引き寄せようとして、エメイズがそれを留めようとして、そしてバイアレルはエメイズを殴り倒した。怒りに満ちた一撃は、しかし手加減をしたのかエメイズを転ばせる程度だった。
「……バイアレルさん」
 何が起きたのか、その時のキアシアには状況を把握することすら出来なかった。バイアレルに殴られたエメイズは、床に尻をついたままバイアレルに暴言を吐いていたような気がする。僕にこんなことをしてただで済むと思うなよとか、これでお前も終わりだとか、ともかくそう言う意味のことを叫んでいた。貴族の子息を殴り飛ばせば、護兵隊の隊長ぐらいは簡単に首が飛ぶのかも知れない。だが、そのあとのバイアレルの台詞を聞いて、エメイズは沈黙した。
「貴様の腰巾着は全て白状したぞ」
 キアシアには何のことだか分からなかったが、ともかくその言葉がエメイズに対して力を持っていたことだけは確かだった。エメイズの端正な顔が見る見るうちに青ざめて、あごがわなわなと震えだしていた。そのときはよく分からなかったが、エメイズの腰巾着というと、クアナを送っていったエメイズの友人たちのことだろうかと、キアシアは思い至った。
「婦女暴行現行犯ならびに強姦示唆、人権蹂躙の廉でユーコン国王の名の下に貴様の身柄を拘束する」
 昨夜、バイアレルがエメイズに言った口上をそのまま口の中で繰り返してみた。このあと、後ろの扉から5人ほどの護兵隊員が飛び出して、先ほどと同じ様なことをわめき続けているエメイズの体を縛り上げたのだ。手際よく、彼らはエメイズを連行していった。
 キアシアの肩を抱いているバイアレルの手を振り払い、連れ去られようとしているエメイズに駆け寄ろうとして、護兵隊員の一人にとめられた。己の名を叫ぶキアシアを見るエメイズの目に、先ほどの優しさは微塵も残っていなかった。神経質そうに瞬きを繰り返しながら、自信と威厳を失い尽くした男の顔で、それでも一縷の望みに全てを託して叫んでいた。バイアレルをにらみつけ、我が家の力を甘く見るな、と。
「……クアナ…?」
 キアシアが昨夜からうっすらと考え続けていたこと。それは、自分とエメイズが二人きりで会っているという事実を何らかの手段で知ったバイアレルが、嫉妬に狂って乱入し、エメイズを殴ったのだと、そうだとばかり考えていた。エメイズによって吹き込まれたバイアレル像は、嫉妬深くて偏執狂の陰気な男だということだった。バイアレルがその通りの人間なら、夕べの行動はそう言うことになる。
 結婚と恋愛と暴力が一堂に会した昨夜の騒ぎですっかり呆けてしまっていたキアシアの頭は、夕べからただそれだけがぐるぐると渦を巻いていた。世の中が自分の知らない部分でも動いていることを、考えることが出来ずにいたのだ。
 婦女暴行現行犯というのは、バイアレルがエメイズをおとしめるためにこじつけた冤罪だとばかり思っていた。だが、強姦示唆、人権蹂躙となるといくらなんでも自分に対することではないということに気づいた。村長でもある父親なら、一体夕べ何があったのか、知らされているかもしれない、そう思い至ったキアシアは居ても立っても居られなくなった。
 肩から掛けた毛布をはねのけ、ベッドから立ち上がる。だが、考えてみればまだ日が昇ったばかりなのだ。こんな時間に父親が起きているはずもないことに気づいた。父親をたたき起こすわけにも行かず、なら待つしかないなと、居間へ向かってとぼとぼ歩く。
 柔らかな日の光が射し込みはじめ、早朝という時間が持つ独特の清涼感に満たされたダイニングルームに入っていったキアシアの目に、テーブルの上で頭を抱える父親の背中がうつった。父親は、振り返りもせずに言った。
「…キアシアか…」
「……お父様…教えて下さい。夕べ、バイアレルさんはどうしてあのようなことを?」
「すまない」
「……」
「わしは…最後まで何もすることが出来なかった。何もしてやれなかった。あの母娘がどんな目に会っているかを知っていながら、見て見ぬ振りを続けていた」
「お父様…それは…一体なんの…?」
「バイアレルだけが、彼女たちの救いとなっていた。だが、彼ももうこれでおしまいだろう」
 父親の述懐は、目の前の娘の疑問に答えようともせず、とうとうと続けられた。
「バイアレルは、エメイズを殴ったのだそうだな。いくら真実の罪があったにせよ、一介の騎士が貴族の嫡子に手を挙げてただで済むはずもない。良くて追放、悪ければ……」
 ガラスはためらいがちに面を伏せて、あるいは殺されるかもしれない、と言った。
「…?!」
「だがそれも、結局はわしが招いたことなのだ。バイアレル一人だけに戦わせずに、わしも立ち上がるべきだった。古き、悪しき習俗など、有るべきではないのだ」
 だん、と机に叩きつけられた拳が、悔しさに握りしめられる。ぎりぎりという歯ぎしりの音が聞こえてくる。父親が何に苦しんでいるのかキアシアには分からなかったが、どれだけ苦しんでいるかは痛いほど伝わって来た。
「エメイズ一人に対して、わしはあまりに無力だったよ。見て見ぬ振りをすることが精一杯だった。クアナも…彼女の母も、ただイミヒトの家系だというだけで、虐げられた。それでも、このキアス村の人々は彼女らの生活を奪うほど堕ちてはいなかった。だが、エメイズはそうではなかった……」
「クアナが…?」
「お前は知らないのかも知れないが、クアナはイミヒトの娘なのだ。呪われた血の卑人とされ、古くから差別されてきた人たちだ。本来そんなものがあってはならない。だから、お前に何も教えなかった。クアナにも、そうしてくれと頼んでいた。知る者が減れば、いずれそう言う概念も無くなるだろうと考えていたのだ」
「差別されていた…虐げられていた? あの…あのいつも明るかったクアナが…」
「だが、わしはそんな緩やかな方法を取るべきではなかった。夕べ、バイアレルの巡回隊が発見したとき、数人の男に囲まれたクアナは…もう一人では立ち上がることすら出来ない状態だった……」
「嘘……クアナは…そんな…護兵隊の人たちに送って貰ったはず…」
「暴行は、その護兵隊の人間によって行われたのだよ。キアシア。そいつらの口から、お前のことを知ったバイアレルは、お前を救出に向かい、そして……」
 キアシアの目の前が不意に真っ白になった。父親の述懐に含まれていた言葉の一つ一つが、脳裏に渦を巻いた。バイアレル、追放、貴族の嫡子、権力?、イミヒト、呪われた、卑人、クアナ、暴行、強姦示唆、人権蹂躙、立つこともできないほど、護兵隊、守護兵団、誰を、誰が、明るかったクアナ、いつも笑顔で、犯されて、泣いてる顔は、笑うことが幸せ?、クアナは幸せだったの?、嘘。
「いや……もう……いや………」
 バイアレルが追放されるのも、クアナが犯されたのも、父親が苦悩するのも、嘘も、全てが自分を中心に繰り広げられた茶番の末なのだと、ふらふらと、いつの間にか自分の部屋に戻ってきていたキアシアは、ベッドに突っ伏したまま涙を流していた。訳が分からなかった。自分の知らないところで渦を巻いていた暗闇が、突如として己を中心に流れ込んできたような、そんな感覚だった。そして、全てを悪い方向に持っていったのも自分なのだと、そう思った。
 もう、こんなところに居られない。全てが信じられなくなった。自分も信じられなくなった。何を信じたらいいのか分からなかった。
 昨夜、クアナから投げかけられた励ましの言葉。
 昨夜、エメイズが話して聞かせたバイアレルの素顔。
 昨夜、バイアレルが叫んだエメイズの罪状。
 今さっき、父親が話した日常の真実。
 どれもこれも、本当に思えた。嘘に思えた。己の頭の中で整理しきれない真実が、嘘となって流れ出す。
 クアナは嘘を言って励ましてくれた。
 エメイズは嘘をついて何をしようとした?
 バイアレルは嘘を言ってエメイズを捕らえたの? それとも本当だったの?
 お父さんが言ったことは真実なの?
 だったら私は居られない。
 その日、キアシアは人知れず街道馬車に乗り込んだ。

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