女子中学生身体検査

辱められたエッチな体験談。

ミッション系女子校

 親に言われるまま中学受験をして、ミッション系の女子校に通うことになったのですが、すごく規律が厳しくて、正直なところ、後悔しています。
 まあ、とはいえ、小学六年生だった当時の私が、親の方針に逆らって公立の共学に進むことなんて、不可能だったと思いますが。
 中学校で特に嫌なのは、下着検査です。
 集団で並べられて、自分の手でスカートを捲り上げ、パンツを見えるようにして検査の順番が来るのを待っていると、なんだか家畜にでもなったかのような気分です。
 当然ながら下着検査には合格と不合格があるわけですが、その基準は厳格です。
 色は白のみ。薄い水色でもアウト。部分的にカラーが入っていてもアウト。何が何でもパンツは白のみです。
 飾り気があってもダメです。たとえば、ピンク色の小さなリボンとか。
 それに、検査の受け方にも決まりがあります。
 別に明文化されているわけではないのですが、おへそが見えるようにスカートをしっかり捲り上げないといけないのです。
 恥ずかしがって捲り方が中途半端だったりすると、先生に大声で怒鳴り付けられたりします。
 初めての検査の時、私は合格基準を熟知しておらず、リボン付きのパンツを履いていました。
 前日(入学式の日)には説明があったのですが、なにしろ、下着検査なんてものが行われるなんて思っていなかったので、あんまり気にしていなかったのです。入学初日なので、他に色々気になることもたくさんあったわけですし。
 それで、次の日に、クラスメイト全員が一斉に下着検査を受けた結果、合格したのはわずか8人でした。不合格者は23人です。
 先生はかなり怒っていました。
 私を含めて不合格になった生徒は、スカートを捲り上げパンツを丸出しにしたまま、先生から強烈なビンタを一発ずつ受けました。

パンツ一丁で整列するJC

 中学校ともなると、大抵の学校では、女子に対して色々な配慮があると思う。羞恥心の芽生える年齢だし、男子だって性的好奇心を抑えられなくなってくる頃だ。着替えを別々の教室でするのは、当然だろう。
 けれど、私の通っていた公立中学では、そんな当たり前のことが、ほとんど行われていなかった。
 体操服に着替える時は男女一緒だし、体育の授業も、男女で別れることはない。
 男女平等。聞こえの良いこの言葉を、教師陣が、歪んだ形で徹底的に実践していたのだった。
 まあ、授業が一緒なのは別に絶対に嫌というほどではないし、着替えも、下はブルマを履いてからスカートを脱げばいい。上も、体操服の下にTシャツを着て良いことになっていたので、それほど困ったことにはならなかった。
 けれど、私たち女子中学生にとって、問題がなかったわけではない。
 私が一番嫌だったのは、身体測定でパンツ一丁にされたことだ。体育の着替えでTシャツを披露するのとは、訳が違った。パンツは丸出しだし、胸なんて、ブラを着けることすら許されなかったのだ。
 身体測定は、保健室で行われたのだけど、いつものように男女一緒だったので、私たち女子は、簡単に脱ぐことはできなかった。
 担任の先生と保健室の先生に何度促されても、みんな、上履きと靴下を脱ぎ、スカートとTシャツ姿になったところで、手が止まってしまっていた。
 そうなることは教師側も最初から分かっていたようで、保健室には、生活指導の数学教師がいた。その先生は、気に入らないことがあるとすぐに怒鳴るので、生徒から恐れられていた。生徒を思い通りに動かすための切り札が、この身体測定に投入されていたのだ。
 数学教師は、女子を怒鳴り付けた。
「さっさと準備しろ! 男子はとっくに出来てるだろ! 迷惑を掛けるな!」
 そういう言い方をされると、なんだか自分たちが悪いような気がしてきて、脱がざるを得なかった。恐いし。
 私たち女子は、まずTシャツを脱ぎ、次にスカートを下ろし、最後にブラを外した。ほとんどの女子はその順番だったと思う。まあ、私が気付かなかっただけで、ブラを外してからスカートを下ろした子も、中には居たのかもしれないが。
「いちいち隠すな! 気を付け!」
 パンツ一丁になった女子は、必死に胸を隠していたけれど、数学教師に一喝され、渋々と手を横にやった。
 女子のひとりが、男子に向かって小声で言った。
「こっち見ないでよ」
 すると、数学教師が「おい、そこ!」と言いながら詰め寄り、その女子をビンタした。
「身体検査中なんだぞ! 無駄口叩くな!」
「は、はい」
 その女子は涙目になっていた。
 些細なことでビンタされるのはよくあることだったが、パンツ一丁だと、より惨めな感じがした。
 男子が縦に一列で並んでいて、そのすぐ横で、女子も縦に一列で並んだ。二列縦隊というやつだ。さっきのビンタ劇が効いていて、誰ひとり喋っていない。そして全員がパンツ一丁。異様な光景だと思う。
 なのに教師たちは誰も疑問に思っていないのか、身体測定は粛々と進められた。
 私たち女子は、男子からチラチラと視線を向けられても、気を付けの姿勢で、丸見えの胸とパンツを晒していなければならなかった。
 さらに問題なのは、検査を受ける時だった。
 並んでいる時は、前に居る男子からは見えないし、後ろに居る男子からは、後ろ姿が見えるくらいだろう。いやそれも恥ずかしいことに違いはないが、胸を見られるよりは良い。並んでいる間なら、真横の男子くらいにしか見られない。
 しかし、列の前に出て、身長や体重を計ってもらっている時は、列の方に、身体の前面を向けなければならない。胸もパンツも晒した状態だ。
 並んでいる時はチラ見だけだった男子も、この時はガン見だった。
 ほとんどの女子は、顔を真っ赤にしながら測定を受けていた。やはりこういうのは、普段 大人しい子ほど恥ずかしがるものらしく、内気な子は耐えきれず胸を手で隠したりして、数学教師に怒鳴り付けられたりしていた。
 泣きそうになっている子も何人か居た。まあ、涙を流している子は居なかったが。
 身体測定が終わり、教室に戻ると、女子は愚痴大会になった。なんで、中学生にもなって、パンツ一丁にされて晒されなければならないのか。不満の声は尽きなかった。
 男子は、この件に関して、意外にもあまり口にしなかった。私は彼らの方を極力 見ないようにしていたから気付かなかったが、どうやら、ほとんどの男子は不本意な勃起をしてしまっていたらしい。彼らは彼らで恥を掻かされた、ということのようだった。
 それでも役得には違いないだろうけれど。

昭和と平成の女子少年院

 麻薬所持で補導され、なんやかんやの末、女子少年院に送られることになったあたしに、祖母が色々と話をしてくれた。昭和初期の女子少年院のことだ。
 もっとも、祖母に入院体験があるわけではなく、知り合いから聞いた話でしかないようで、どこまで信用していいものかは分からないが。
 祖母の知り合いは、朝倉胡蝶といった。その朝倉さんは、窃盗容疑で捕まったらしい。冤罪らしいけど。
 当時、共産主義者の取り締まりに力を入れていた警察は、適当な罪状をでっち上げて、疑わしい者を片っ端から逮捕していた。朝倉さん自身は、ただの女子学生でしかなかったのだけれど、両親が共産主義者に何らかの援助をしていたことで、そのとばっちりを受けたのだ。
 朝倉さんが住んでいた地方では、女子のための正式な施設はなく、男子を収容している少年院に併設する形で、非公式な女子少年院が運営されていた。最初は、一時的な措置としてそのような形が取られたのだけれど、直後に戦争が始まってそれどころではなくなり、結局、非公式な運営方式は終戦まで継続されることになった。最後まで非公式であったため、現在は何も記録が残っていない。
 朝倉さんは、14歳の時にそこに放り込まれ、17歳の時にようやく出て来られた。その三年間は、彼女の人生の中で、最も屈辱的な体験だったとか。
 祖母から話を聞いていくうちに、なるほど、そりゃ屈辱的だ、とあたしは納得した。思春期の女子が許容できるような待遇ではなかった。
 まず、入所する際に、移送時の手錠を外され、徹底的な身体検査が行われる。丸裸になり、性器も肛門も見せなければならない。これは、凶器や薬物を持ち込ませないという意図もあったのだろうが、それ以上に、屈辱を与えて身の程を弁えさせるという意図もあったのだろう。
 全裸になった朝倉さんは、できる限り大きく足を開き、深々とお辞儀をするように上半身を倒した、らしい。お尻を後ろに突き出す姿勢だ。さらに、手を後ろに回し、自らお尻を割り開かなければならないんだとか。
 同姓相手ですら恥ずかしいだろうに、職員のほとんどは男性だったらしい。人権意識の低い昭和初期では、この程度の人権侵害なんて、さほど珍しいことでもない。ましてや、当の女子少年院は、公式には存在を伏せられている。多少のことでは問題が表沙汰になることはない。職員たちが朝倉さんに配慮をする理由はどこにもなかった。
 14歳の朝倉さんは、お尻の穴に指を突っ込まれ、涙を流したらしい。中年男にそんなことをされたら、あたしだって泣くだろう。
 肛門検査は、入所時だけでなく、事あるごとに実施されたということなので、まったく酷い話だと思う。
 たとえば、少しでも反抗的な態度を取った時なんかがそうで、職員の言葉に対してちょっとでも反応が遅れたら、「肛門検査!」と言われる。
 そうなったら最後、女子少年院の制服ズボンとパンツを足首まで下ろし、その場で肛門を開かなければならないという……。
 逆らうと、警棒で滅多打ちにされた挙げ句、手足を拘束されて懲罰房に放り込まれ、オシッコもウンチも垂れ流し状態を強制される。年頃の女の子に耐えられることではない。
 肛門検査も辛いが、ウンチ垂れ流しの方がもっと辛いので、職員には絶対服従するしかない。
 当時の女子少年院は、寝ている時すら安心はできなかったらしい。
 狭い部屋に5人の女子が雑魚寝していたところ、酔っ払った男性職員数人がいきなり乗り込んできたことがあったのだとか。
 職員に1人が「腸内検査!」と言うと、女子5人は、眠い目をこする間もなく、肛門検査の時と同じ姿勢を取った、らしい。ズボンとパンツを下ろした状態で、足首を掴んで後ろに突き出す格好だ。
 腸内検査とは、浣腸によって腸内のものを排出させ、麻薬か何かを隠していないかを調べることを言う。しかし、お腹の中に麻薬を隠している子なんて居るはずはない。結局、屈辱を与えるためだけの検査なんだろう。
 女子受刑者もそのことは充分に承知していただろうが、やはり逆らうことはできないのだ。
 その深夜の腸内検査では、職員が酔っ払っていたこともあり、悪ノリが過ぎて、浣腸にはお酒が使われたらしい。
 朝倉胡蝶は、直腸に染み渡るアルコールのせいで、全身が熱くなり、頭がボーッとして、その後のことはあまり覚えていないそうだ。
 ただ、最後に浣腸された子が、職員から尻を蹴られ、前転しながら倒れ込み、その直後に肛門から酒をぶち撒けてしまったことは、認識していたらしい。自分たちの部屋が一気に汚れていく絶望感と、職員たちの笑い声が、強く印象に残ったのだとか。
 浣腸を終えた職員たちは、さっさと引き上げていったので、朝倉胡蝶たちは、部屋に備え付けの和式トイレを巡って、醜い争いを始めたらしい。まあしかし、便器の取り合いは、すぐに決着がついたようだ。結局は、普段の力関係の順に落ち着いたのだとか。
 尻を蹴られて床に排泄してしまった子を除くと、4人の女子受刑者が便器を求めた。朝倉胡蝶は、3番目に排泄した。
 彼女が便器に腰を下ろしたのとほぼ同時に、自分の順番を待っていた4人目の子が、待ちきれずに漏らしてしまったらしい。
 その子は泣きながら排便していたと言うが、しかしそれは、トイレに有り付けた他の子も同じだったようだ。
 無理はない。職員の気紛れで、深夜に叩き起こされた彼女たちは、浣腸され、便器の取り合いを演じさせられ、排便を余儀なくされたのだ。悔しくないはずはない。みんな、悔しくて悔しくて、泣きながら排便していたということらしいが、それも当然のことだろう。
 しかも、それですらまだマシな部類なんだから、救えない。5人のうち、3人は便器で排泄できたのだけど、あとの2人は、床に撒き散らしてしまったのだ。その恥辱は、計り知れないものがある。
 自分の排泄物を仲間と共に掃除していた時の気持ちを想像すると、あたしは、何とも言えない気分になった。
 未成年の女子にアルコール浣腸なんてしたら、もちろん只では済まない。彼女たちは、次の日、揃って体調不良に陥ったらしい。
 そのうちの1人なんて、病院に担ぎ込まれる羽目にもなったのだとか。
 3日の入院で、ほぼ全快して帰ってきたのだが、彼女を待っていた職員は、3日間の外出の代償として、執拗なスパンキングを行ったらしい。
 外出も何も、入院していただけだったし、そもそもの原因は、職員が余興で行ったアルコール浣腸のせいなんだけど、そんなことは彼らには何の関係もないようだった。女子少年院から3日も外に出ていた。この事実のみが懲罰の理由になり、いかなる言い訳も受け入れる気はないということらしい。
 退院してきたばかりのその子は、悪夢の腸内検査と同じ格好を取らされ、お尻を警棒で叩かれた。
 職員が全力で警棒を振っていたので、その子は、2発までは黙って耐えることができたものの、3発目からは、一発ごとに大きな悲鳴を上げた。そして、5発目で姿勢を保つことができなくなり、その場に崩れ落ちた。6発目からは、職員に引き起こされ、左右から身体を押さえられながらの懲罰になった。ということらしい。
 その様子を、朝倉胡蝶を含めた同室の4人は、近くに正座して見学を強制されたのだとか。
 どれだけ泣き叫ぼうともスパンキングは続けられたようだ。途中でその子が失禁して一時中断はあったが、ちょっと場所を移動してすぐに再開され、あまりに悲鳴を上げ続けたせいで、声が掠れてしまうようになっても、まだ終わらなかったという……。
 職員たちが代わる代わる警棒を振るって、彼らが気持ち良く汗を掻き、疲れが見え始めてきた頃、ようやく終わった、らしい。
 その子のお尻は、普段の二倍くらい膨れ上がっていたらしい。自力では全く立つことができず、喉も潰れかかっていたので、うつ伏せのまま小さく泣いていたとか。
 また入院した方がいいんじゃないか、と朝倉胡蝶は思ったらしいが、しかしそうなったらまた新たな懲罰が待っているに違いないので、口にはできなかったということだった。
 その子は、一日ずっと立つことができず、トイレで用を足すときは、仲間に担いでもらったらしい。ちょっとでも動くとお尻に激痛が走るようで、ヒイヒイ言いながら和式便器にしゃがみ込んでいたのだとか。
 次の日になっても、お尻の腫れは引かなかったどころか、むしろ酷くなっていた、らしい。さすがの職員たちも、それを見てやりすぎたと思ったのか、しばらく寝て過ごすことを許可するくらいだったようだから、相当に腫れていたのだろう。お尻は赤いと言うよりも、赤黒いと言った方が近かったらしい……。
 それでも、人間の自己治癒能力とは大したもので、数日もすると、普通に歩くことができるようになったようだ。
 祖母の話を聞いて、あたしは少し気が楽になった。これから女子少年院に入れられるに当たって、不安で一杯なことに変わりはなかったけれど、昔よりはマシな待遇であることは確実だ。それを思えば、耐えられないこともないだろう。そう思った。
 実際、平成の現在においては、女子少年院なんて、スパルタでも何でもなく、ちょっと規則の厳しい女子寮みたいなものだった。スポーツ強豪校の寮の方がよほど辛いんじゃないの?、と思うくらい緩い。
 とはいえ、入所の際に、肛門を含めた身体検査は行われた。まあ、朝倉胡蝶とは違って、あたしの肛門を検査したのは、当然のごとく女性職員だったし、しかも色々と気遣いが感じられた。キビキビとした命令口調ではあったものの、「力を入れると余計に痛くなるから、深呼吸をしなさい」とか、「すぐ終わるからじっとしていなさい」とか、そんなようなことを言っていた。
 思春期の乙女が肛門検査を受けるのだから、それくらいの配慮はあって当然だろう、と思わなくもないけれど、職員の言葉を有り難く感じたのも事実だった。
 それでも、お尻の穴に指を入れられた時は、屈辱で顔が真っ赤になってしまったし、その感触は、できれば二度と味わいたくない、と心から思った。

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